賃金請求と17条移送


賃金請求について債権者(労働者)の住所地の裁判所に管轄があるのか否かは争いがありますが、いずれにせよ労働者は、たとえば不法行為に基づく損害賠償請求と併合して提訴することにより、自身の住所地を管轄する裁判所に提訴することが可能です。

不法行為に基づく損害賠償請求権の義務履行地は債権者の現在の住所なので(民法484条)、義務履行地である現在の住所を管轄する裁判所に提訴することができ(民訴法5条1号)、かつ併合請求された複数の請求のうち1個について管轄があれば、全部について管轄が生じるからです(民事訴訟法7条)。

 

そこで、退職した労働者が会社から遠方の実家に帰った後に未払賃金の支払いを求めて提訴する場合、少なくとも不法行為に基づく損害賠償請求と併合すれば、地元の裁判所に提訴することができることになります。

このとき、遠方の裁判所に訴訟が係属することになる被告会社が民事訴訟法17条に基づく移送を申し立てた場合、裁判所は何を考慮し、どのような判断をすることになるのでしょうか。

この点、安易に移送を認めた裁判例が判例誌に掲載されています(サンテレホン(移送申立て)事件大地決H27.3.25労判1124号67頁)。

 

この裁判例に対しては、2つの観点で批判が可能です。

 

第1に、民訴法17条は、考慮要素として「尋問を受けるべき証人の住所」「使用すべき検証物の所在地」を挙げているところ、「尋問を受けるべき証人」「使用すべき検証物」との文言に照らし、考慮の対象となるのは尋問が必要と考えられる証人の住所、検証が必要と考えられる物の所在地です(和久和彦「民事訴訟法17条に基づく移送について」(判例タイムズ1446号5頁以下)15~17頁)。したがって、申立人が「証人」と主張する人物について尋問が必要かどうか、「検証物」と主張する物について検証が必要か否かについて検討・判断する必要があるはずです。

しかるに、上記裁判例では、就労していた地が東京本社であることを根拠に、就労実態を知る者や就労実態に関する検証物は、東京地裁の管轄区域内にあると考えられるとするだけで移送の必要性に結びつけており、すくなくとも決定文からは、具体的に必要と考えられる証人が何者で、検証が必要と考えられる物が何なのか全く不明です。

 

第2に、民訴法17条が掲げる考慮要素の「その他の事情」の1つとして、「請求の種類・内容・性質」が挙げられます。すなわち、訴訟物たる法律関係を規定する実定法の趣旨等から、当事者の一方を救済する必要があることを窺わせる事情があるときは、「当事者間の衡平を図るため必要」か否かの判断にあたって考慮すべきであると指摘されています(和久前掲論文18頁)。

この点、賃金請求については、労働者の生活原資であって、その保護を図る必要性が高いことから、法律は、全額払いを義務づけ、違反を刑事罰の対象とし、退職後の履行遅滞に対して高利の遅延損害金を課すなどして(労働基準法24条1項、120条1号、賃確法6条)、支払いの確保に努めています。とくに割増賃金の不払いについては、より法定刑を重くし(6箇月以下の懲役又は30万円以下の罰金、労働基準法119条1号)、付加金の制裁も設けて(同法114条)、支払いの確保に万全を期しています。このように実定法において権利の実現のために最大限の配慮がなされているにも関わらず、その実現のための手続において管轄権のある裁判所へ提訴されているにも関わらず、当該裁判所での審理を認めず、移送をして権利の実現への負担を過重することは背理です。

 

したがって、賃金請求、とりわけ割増賃金請求訴訟において17条移送が認められるためには、高度の必要性がなければならないというべきであり、上記裁判例のように、抽象的に「証人や検証物は、おそらくここにはなくて、向こうにありそうだ」ということを根拠に移送を決定することは許されないものというべきでしょう。