法内残業と賃金請求権


1日の所定労働時間が7時間や7時間30分の会社があります。

そのような会社で30分時間外労働をしたとしても、1日8時間の制限を超えませんので、労働基準法37条に基づいて割増賃金が発生することにはなりません。

その時間の賃金はどうなるのでしょうか。会社はこの時間の労働を無償と定めることもできるのでしょうか。

 

この点、実務では通常、割増のない賃金が発生するものとして扱います。

就業規則上、所定時間外の労働について一律に25%増しの残業手当を支給する規定がある場合には125%で請求することもあります。その場合は就業規則の規定(を内容とする労働契約)に基づく請求となるので良いのですが、そうでない場合、なぜ(割増はないにせよ)賃金を請求できるのか、考えてみると、説明は必ずしも容易ではありません。

労働基準法、最低賃金法その他の法令には、一般的にあらゆる労働時間を賃金支払いの対象とすることを強行的に保障した規定は存在せず、ある時間(の労働)が賃金の支払対象となるか否かは、本来、契約に委ねられていると解されるからです。

 

この点について、通説といって良いかは分かりませんが、有力な見解であって、おそらく裁判官の多くも参考としていると思われるのが、荒木尚志教授の説です。

荒木説の骨子を私なりに整理すれば、次のとおりです(荒木尚志『労働時間の法的構造』306~310頁)。

 

所定労働時間外の活動時間が労働基準法上の労働時間に該当する場合、その時間に賃金が発生するか否かは、次の原則によるべきである。

〔第1原則〕

・賃金支払に関する明示の約定が存しない場合、黙示の約定により賃金請求権を認めることができる。

〔第2原則〕

・賃金が発生しないものとする特約の認定は厳格になされなければならない(当事者が「労働基準法上の労働時間である」と認識したうえで、明確に賃金支払対象としないという合意がない限り、第1原則によるべきである。たとえば、当事者が準備・後始末活動を所定時間外にするものとしている場合、その意思は「労働時間でないから賃金支払対象としなかった」ということにあると解され、「労働時間であるにもかかわらず賃金を支払わない趣旨であった」とは到底解されないから、第1原則によることになる。)。

〔第3原則〕

・賃金が発生しないものとする明示の特約の存在が認められたとしても、1時間の遅刻に対して1時間分の賃金カットが行われている場合、当事者は労働時間と賃金の比例的牽連関係を認めているのであるから、これに反する特約は、特段の合理的理由の存する場合を除き、公序に反するものとしてその効力を否定すべきである。

(※以上の「第○原則」という呼称は私が勝手に付けたものです。)

 

当事者が「労働時間でないから賃金支払対象でない」という意識である場合に賃金支払いの黙示の約定を認定するというのは、随分、擬制的な話です。信義則に基づく契約の修正的解釈の例というべきかも知れません。

荒木教授は自説の根拠として、「労働契約は、労働者が労務を提供することを約し、使用者が賃金を支払うことを約すことに基礎をおく有償双務契約であり、労働と賃金の対価関係は労働契約の本質的部分を構成している」こと、したがって「当事者は労働と賃金の牽連関係・対応関係を前提としていると解すべきである」こと、「就業規則を使用者が一方的に作成している」ことを挙げていますが、それだけで充分な理由付けになっているかは疑問がないではありません。

 

しかし、「賃金支払対象となるか否かは合意による」という否定の困難な命題を前提としつつ、妥当な結論を導く巧妙な見解であるといえるでしょう。

おそらくは裁判官の頭の中にもあるこの見解を知っておくことは、賃金(残業代)請求事件に関係する当事者及び代理人にとって有益なことと思われます。